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THE STORY
~ポケモンのおりがみについて~
- ポケモンのゲームから
- ポケモンのTVアニメ
- 優れたキャラクターデザイン
- おりがみでポケモンをつくる
- 企画プレゼン
- ゲーム会社ゲームフリークのキャラクターのチェック
- 折り方を図にする
- 出版社小学館の編集部の折り方のチェック
- たくさんの方のお力で実現
1 ポケモンのゲームから
1996年2月、任天堂ゲームボーイのゲームカセットとして『ポケットモンスター赤』と『ポケットモンスター緑』が発売されました。
我が家でも、子どもたちと店に行き、ものすごい人だかりの中購入したのを思い出します。
その後、雑誌『コロコロコミック』や『てれびくん』、ソフビ人形やカードゲームなど多方面に展開、1997年春テレビアニメが始まりました。
2 ポケモンのTVアニメ
当時、子育て期間中で、本来の企画制作の仕事は手控え、いまのうちにしてみたいことや気になることをいろいろとやってみよう、と思っていましたので、スタジオエルで外注スタッフのアルバイトを始めたところでした。
それは、アニメの制作の工程のうち、セルに彩色する「仕上げ」という仕事でした。
そうしたら幸運にも、それが『ポケットモンスター』のテレビアニメの仕上げの仕事だったのです。
そこで、生き生きと描かれた数々のキャラクターを見て、惚れ込んでしまいました。
3 優れたキャラクターデザイン
ポケモンのかたち、フォルムの素晴らしさに、驚きました。
かわいらしいだけではない、こんなに生き生きとして、そして本当にそこにいてもおかしくないリアリティ。
生物学のセオリーや生態学の実際などをベースに、緻密にデザインされていることがうかがわれます。
そして、2次元の絵なのに、3次元のフォルムが織り込まれていて、しかも動きまでも自然に発現してくるような、フォルムなのです。
ほんとうに優れたキャラクターデザインだと、感動しました。
架空の生き物として、これほどのものは、これまでの日本のほかのキャラクターデザインには無かったのではないかと思いました。
4 おりがみでポケモンをつくる
おりがみでポケモンをつくり始めたのは1998年。
そのころはスタジオエルの外注の仕事は辞めて、こちらもアニメの仕上げの仕事ですが、スタジオ・タージで内勤のスタッフとして、アルバイトしていました。そして子どもたちと日々過ごすうちに、おりがみでポケモンをつくっていました。
おりがみは、紙を折るのですから、基本的に直線で構成される造形です。
丸くて元気に動き回るキャラクターとは、相容れない媒体といえます。
しかし、この、曲線のものを直線の世界へと、まったく異なるスタイルに移しかえて、うまく表現できたときには「そう!この感じ!」と何度も深くうなずいて、すごくうれしくなってしまうんです。なんか。
そうやって、2か月くらいで43種類、4か月くらいで75種類できました。
当初、ポケモンは151種類でした。
でも、おりがみではとても困難なかたちのものもあり、全部は無理かもしれないけど、まあ100種類くらいはできるかな、と思っていました。
5 企画プレゼン
ある日、ふと思いました。
もしかしたら、よその子どもたちも、これを欲しがるのではないだろうか。もしかしたら、ほかの親たちにも、これを教えたらいいのではないだろうか。
そこで、ポケモンのおりがみの本の企画書を書きました。企画は自分の本来の仕事ですので、ここからは得意分野です。
1996年の発売以降の『ポケットモンスター』を取り巻く状況とポジショニングの考察、そしてターゲットとなる子どもたちとその家庭における受容の段階的変化とかかわり方の分析、そこから企画コンセプトと具体的な構成と表現方法。会心の企画書ができました。
すぐに書店に行って、キャラクターものの書籍をあれこれ見て、企画を持ち込む出版社、編集部を選びました。
それから電話をして、アポをとりました。
プレゼンに行ったのは1999年3月10日水曜日。
企画書と、おりがみがぎっしり詰まった箱とを持って。
そして小学館で企画がスタートしました。
企画に専念するため、翌4月、やむなくアニメの仕事は辞めました。
6 ゲーム会社ゲームフリークの
キャラクターのチェック
本に掲載して出版するには、ポケモンの版権を保持しているゲーム会社、ゲームフリークの許諾を得なければなりません。
そこで、小学館の担当編集者Hさんが手配してくださって、ゲームフリークに、おりがみの実物一揃い(120種類ほどありました)とポケモンの名前を表にした「チェックシート」とを提出して、チェックしていただくことになりました。
1999年の5月、6月ころでした。当時、ポケモンがアメリカ進出後で、ものすごく忙しいからちょっと時間がかかるとのことでした。
ゲームフリークの担当のMさんは、本当に大変だったことと思います。1点ずつ、かたち、顔、からだのバランス、紙の色など、ていねいに見てくださいました。
その中で、顔のみのものについてですが、本来はポケモンを顔のみで表現することを避けているのだそうです。
しかし、おりがみになった場合、顔のみの表現を省いていくと折れるものが限られてしまうので、通常の商品よりは許容範囲を広げて監修してくださったとのことでした。
ポケモンたちをどのように扱ってほしいのか、大切な子どもを送り出す親御さんの気持ちが伝わってくるように思いました。
そして、ご指摘いただいた部分の手直しをして、再びチェックをしていただきました。
7 折り方を図にする
ゲームフリークのOKが出たものが揃い、その中から本に掲載するものを最終的に101種類選び、7月、編集内容が決まりました。
そこで、それぞれのおりがみの折り方の図を描き始めました。
ところが。
ことはそう簡単ではなかったのです。
一手ずつていねいに順を追って描いたとしたら、おそらく600ページ以上の本になってしまいます。
そんなことになったら、分厚くて、重くて、しかもとんでもなく高い値段で、誰も買えないようなものになってしまいます。
だから、この101種類の折り方の図を、約60ページに収めなければならないのです。
図の数を最小限にするため、ひとつの図で複数の指示を表現し、そして矛盾なく、次の図に次の指示を、また複数入れる。
そのために、折ったものを開いてみて、どの時点とどの時点とを図に描くか考え、構成していく。
これが思いのほか大変な作業で、おそろしく時間がかかりました。
1種類まとめるのにまる1日、2日かかることもあり、およそ5か月のあいだ、紙を折ったり開いたり、開いたり折ったり、来る日も来る日も折り図を検討して過ごしました。
8 出版社小学館の編集部の
折り方のチェック
折り図作成に苦闘していたその期間、折り図が数点できあがったところで、その都度、原稿を小学館の編集部に届けていました。
そして内容の確認をしていただきました。
担当編集者のHさんが、1点1点、図を見ながら実際におりがみを折ってみて、この図でほんとうに折れるかどうか、原稿に間違いがないかどうか、チェックしてくださいました。
さらに、社内の他のスタッフの方々にも集まっていただき、実際に折れるかどうか試してみて、不備や盲点はないか、いろいろな角度から検証してくださったとのことです。
そんな中で、つくれたけれども「難しすぎる」と、折り方の変更を指示されたものも幾つかありました。
夏に始めたのが、だんだん秋になって、気がついたらもう冬の入口になっていました。
大変な長距離走でしたが、担当のHさんが、原稿が上がるのを忍耐強く待ってくださって、この遅々とした歩みをしっかり支えてくださったお陰で、なんとか完走できたという感じです。
その後、撮影の手配、デザイン、入稿、印刷製本スケジュールなど、担当のHさんが制作進行をすべて取り仕切ってくださいました。
9 たくさんの方のお力で実現
写真の撮影のために、まずしなければならなかったことは、おりがみのできあがり見本を揃えることでした。全種類、正、副、予備と、それぞれ複数つくって、準備しました。
それにプラスして、生活の中の楽しみ方のページに紹介するものも、必要な数用意しました。
そして担当のHさんが手配してくださったイラストレーターのAさんにポケモンの顔やからだの模様などを描いていただきました。
写真撮影は、1回目は1999年12月末。フォトグラファーのOさんのスタジオにお伺いして、個々のポケモンをひと通り。
そして2回目の2000年1月には、生活提案のページを、パーティーのセッティングやラッピングのアレンジ、またハロウィンやクリスマスの飾りつけなど、数々のカットを撮影していただきました。
それから生活提案のカラーページの、つくり方の図と文字原稿とを作成して、編集部に届けました。デザインはNさんの事務所で、もうすでにデジタルで制作なさっていました。
そして文字校正、色校正、と、順調に進んで、本ができあがりました。
本当にたくさんの方のお力で実現していただきました。深く感謝しております。
◇ ◇ ◇